六月の雪

緋色は雪の涙なり

Learn as if you will live forever, Live as if you will die tomorrow.
 
 
  

architecture

 美しい街並みを見て生活をしたい。

 日本の街並みは,どうしてこう雑多でごちゃごちゃしているのだろう。欧州を旅して帰国すると,心底風景にがっかりする。そして,自分の国の風景にがっかりしなければならない事実に,更にがっかりする。
 「日本は使い捨て文化だが,ヨーロッパでは古いものを大切にする」などと,300年も昔の建物をリフォームしながら美しく住んでいる様子を紹介する雑誌などを見かけるが,私は,その言い方には疑問を感じる。地震が多く高温多湿な日本がヨーロッパと違うのは当たり前,朽ちていく素材と共存していくのが日本の文化だと思うから。伊勢神宮式年遷宮を見よ,あれが日本の風土から生まれた究極の姿ではないか。欧州に劣っているわけではない,ここはそういう暮らしが似合う土地なのだ。

 だが,伊勢神宮は美しくとも,現在の日本の普通の街並みが欧州のあらゆる都市に比べ,美しくないのはどうしようもなく事実だと思う。
 日本の街並みに溢れるのは,悪しき自由に汚染された勝手気ままな自己主張のみ。薄汚い色取り取りののぼりがはためき,これでもかというほど看板が並び,周囲との調和など微塵も考えていない建物が,ちぐはぐな空間を作り出す。壁と屋根と窓さえあればそれでよし?

 「日本には大工はいても建築家は育たなかった」と聞く。
 「まさしく」と,街を歩く度,毎日思う。
 「architecture」という英単語が端的に示すように,欧米では,建築は「art」であり,美と調和が要求される。だが,この「art」の部分が日本では育たなかったらしい。いや,でも江戸の街は美しかった。昔はあった美と調和の心が,戦後の自由をはき違えた教育が消し去ったのかもしれない。

 欧州から帰国したとき,がっかりする代わりに安らげる自国であって欲しい。外国の風景より自国の風景の方がしっくり肌に馴染むに決まっているはずなのに,今の街並みは酷すぎる。
 とりあえず,のぼりや看板を規制するだけでも随分変わると思うのだが...「表現の自由」とやらが阻むのだろう。