六月の雪

緋色は雪の涙なり

Learn as if you will live forever, Live as if you will die tomorrow.
 
 
  

もし僕らのことばがウィスキーであったなら

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)


期待していたとおりの本だった。アイラ島シングルモルトを飲みながら想いを馳せてきた空気を、彼の地で育つウィスキーの心を、感じさせてくれる本だった。
「あとがきにかえて」から少し抜粋。

でも経験的に言って、酒というのは、それがどんな酒であっても、その産地で飲むのがいちばんうまいような気がする。それが造られた場所に近ければ近いほどがいい。ワインももちろんそうだし、日本酒もそうだ。ビールだってそうだ。そこから離れれば離れるほど、その酒を成立せしめている何かがちょっとずつ薄らいでいくように感じられる。よく言われるように、「うまい酒は旅をしない」のだ。

本当にそうだと思う。そこへ行くことがかなわないから、旅してきた酒が連れてきた産地の空気を風味を息吹を一生懸命感じようとする。たぶん酒は故郷を恋しがっていて、それを飲もうとする私たちに自分の素晴らしい故郷について語ってくれている。だからそれを聞きのがすまいとして酒に向かう。
同じことを音楽にも感じたことがある。アンデスの山で聞いたケーナの音色はフォルクローレがこの風景の中で生まれたこと、この山々の上でしか育ち得なかったことを教えてくれたし、ウィーンの街並みは、その後の私にクラシック音楽聞く耳を与えてくれた。鈍感な私だから、もし遠い異国を旅をしなければ、死ぬまでそんな感覚に気付かなかったと思う。

旅行というのはいいものだなと、そういうときにあらためて思う。人の心の中にしか残らないもの、だからこそ何よりも貴重なものを、旅は僕らに与えてくれる。そのときは気づかなくても、あとでそれと知ることになるものを。


だから旅はいつまでも続く。何年経っても過去の旅からあらためて学ぶことは尽きない。これも遠い異国で異文化を感じたから思える気がする。


ボウモアを造っている蒸溜所は古式豊かな造り方を決して変えずにずっと続けているそうだ。沢山の人が自分の手を使って伝統を守ってウィスキーをつくる。
ラフロイグの蒸溜所は正反対。ステンレスの発酵槽にコンピュータ制御された製造工程。蒸溜所で働く人の数はボウモアの4分の1。おいしいウイスキーを時代に合わせて造る。
ボウモアラフロイグ、そしてカリラ。手元にある3本のアイラのシングルモルトに手を出さずにこの本を読むのは骨が折れた。