言文不一致
毎週土曜日,産経新聞に連載されている「阿久悠 書く言う」というコラムを楽しみにしている。本日の「フニャフニャのしゃべりをフニャフニャのまま文章にしても言文一致とはいわない」は,一読してかみ砕けないほど深かった。
文章がなくなったケータイ万能時代の方が,メールだのブログだのに誰もが幼児言葉を書き綴っている今より遙かにましだった,文章が溢れた時代の修正は難しい。悪貨が良貨を駆逐するように,フニャフニャの幼児言語がはびこっていく。大切なのは緊張と恐れである。
ものすごく簡単にまとめると,こんなところだろうか?
日本語の危機に際し,書き言葉を軸に置いて話し言葉を構築しよう。
日常の会話そのものに書き言葉の芸術性と緊張を加えよう。
が,その趣旨らしい。
メールだのブログだのが流行するよりずっと以前から執筆魔?だった私のことを言われているわけじゃない,と思いたい。が,そう言い切る自信はない。文章を書くことは,自分の精神との対決だ。作詞家,阿久悠さんの感性を,憶えておこう。