小学校三年生だった7月7日。七夕飾りを作るのに夢中になっていた私は、後ろから私を追って飛んできた愛鳥に気づかずドアを閉め、挟まれた愛鳥は命を落とした。
雛から育ててとても仲良しだった文鳥を、自ら死に追いやってしまった。
9歳になったばかりの私にはあまりに重く辛いことで、滅多に泣かない子どもだったけれど、そのときだけはいつまでもいつまでも泣き続けた。どんなに泣いても泣いても、何の役にも立たない。文鳥は冷たいままで、二度と私に甘えてくれることはない。今でも断末魔の叫びが耳の中に残っている。
以来、七夕の夜は私にとって逝ってしまった愛鳥のことを思い出す夜。七夕飾りは二度と作っていない。
あの子の分まで、今一緒にいるオカメインコと楽しく過ごす。ぜったいに。ぜったいに気をつける。ドアの開け閉めも窓の開け閉めもその他の危険なもの全てに。だからお願い、見守っていて。
悲しみとのつきあい方は覚えても、悲しみそのものはどれだけ時が経っても消えないのだと、七夕が巡り来るたびに思う。信じられないくらい沢山の時間が流れたというのに、今日になってもあの日に戻ったみたいに涙が流れ出ようとして困る。