六月の雪

緋色は雪の涙なり

Learn as if you will live forever, Live as if you will die tomorrow.
 
 
  

AKIRA

 物語の舞台だった2019年がやってきたといういことで,Netflixで配信している『AKIRA』を見た。

AKIRA | Netflix (ネットフリックス)www.netflix.com
 
 第三次世界大戦後のネオ東京を舞台にした1988年のアニメーション映画で,アニメーション的にもSF作品的にも凄い作品であると,当時はとても話題になった。物語の中で2020年に東京オリンピックが開かれることになっていたため,オリンピック開催が決まったときも話題になった。
 かつてこの作品を見たのはあまりに昔のことで,しかも原作を読まずにアニメ映画だけ見たこともあって,内容を全く覚えておらず,見たという記憶と面白かったという肯定的な印象だけが残っている状態での再視聴だった。

 長い年月を挟んで今もう一度この作品を見て,昔ほど面白いと思っていない自分に衝撃を受けた。
 何故面白くなかったかというと,端的に内容についていけなかったのだ。確かに昔見て凄いと思って感動した筈なのに?
 登場人物の顔も区別できず,誰が主人公なのかもわからず(思い出せず),もっと言うなら,登場人物の性別もよくわからず声で判断し,何が起こっているかも今ひとつ理解できず,「何か破壊して殺してドンパチしてばかり??」って印象のまま物語半ばまで進んでしまった。

 先日の『シン・ゴジラ』鑑賞でも感じた「最近のアニメを見過ぎて馴染みすぎて,その描写手法に慣れすぎている」私は,実写映画と同じく,昔のアニメの描写にもついていけなくなっているのかもしれない。おそらく,今のアニメはすごく大胆に大袈裟にわかりやすく表現しているのだろう。絵柄でもCVでも。
 そうやってアニメの描き方や演出は少しずつ変化し,長い年月を挟むと,その変化は思いもかけない大きなものになっている。時代の変化,時の中で生きているって,思っていた以上に心や感受性に影響を与えているのではと思ったのだった。

 それにしても『AKIRA』で描かれている世界が何と昭和だったことよ。
 ペーパーレスが全く進んでおらず,今ならモニターで見るようなデータが次々と紙上にグラフ化されて出てくるし,人々のデモの様子も70年安保みたいだし,それっぽいけど意味のなさそうなモニター画面はブラウン管だし,超高層ビルが建ち並ぶのに蛍光灯だし。第三次世界大戦後に再築された街なのに何故か古めかしいし。未来を予測するのって何と難しいのだろう。

 色々否定的なことばかり書いてしまったが,それでもやっぱり過去の名作は時を経てでも何度も見てみるものだと思った。発見があって面白い。