六月の雪

緋色は雪の涙なり

Learn as if you will live forever, Live as if you will die tomorrow.
 
 
  

呟きと情報発信

 ここ10年くらいでどんどん年賀状が苦痛になっていった。私生活で郵便を使うことなどほとんどなく,手帳もカレンダーもメモ帳もウェブサービスを使っているからペンを持つ機会がほぼなくなって,手の筋肉の付き方が変わってしまったため紙に文字を書くという行為が肉体的に苦痛なのだ。すぐに筋肉がつって手が動かなくなってしまう。年賀状なんて苦行でしかない。
 そもそも私の生活全体が変わってしまった。本も音楽もダウンロードコンテンツを買っているし,買い物も生鮮食料品以外はネット通販。引っ越しが多い私には「物」が増えないライフスタイルが合っているし,車を持たずに米もトイレットペーパーも通販に頼る生活が合っている。そんな生活の中では「葉書?なにそれ…」って気分なのだ。
 そういうわけで一部どうしても仕方がない場合を除き,年賀状は廃止したいと考え,長年出し続けてきた昔の知人たちにメールアドレスやSNSを使っていたらIDなど教えてくれたら嬉しい云々書き添えてみた。今のところそれに対するレスポンスはほとんどないのだが,一部言われたことは「不特定多数の人に自分から情報を発信することはないのでTwitterInstagramなどは使わない」というもの。これ,以前から同世代の数人の知人から言われたことがある。そして以前からすごく理解できないと思う考え方だ。あー何かよく分からないけど,私とこの人たちは別の世界に住んでいる…と感じて投げ出してきた。

 しかし,よく考えてみたら,そういうことを私に言う人たちは,パスワードで閉じられた仲間内の掲示板のような箇所では色々と話すことがあるらしく,そういう場でならけっこう発言を書き込んでいるではないか? これって不特定多数ではない既知の相手であれば,発する情報があるということになる。逆に私はそういうところではどう頑張っても書くのが難しい。Twitterで呟くように気軽に書き込むことができない。書き込もうとすると,もの凄く緊張する。もの凄く緊張するような行為を楽しめる筈がない。相手は学生時代同じサークルにいた仲間,お互いによく知っている(知っていた)人々のはずなのに。
 彼らの言葉を借りるとすれば,これは私がそこで発したい情報を持っていないということになるのだろうか。今更二度と会うとも思えない彼らのことなどどうでも良いと思っている? 私が幾ら人付き合い悪いといっても,そこまでではないと思うのだが…。そもそも私がよく使っているはてなハイクTwitterで相互フォローをしているような方々ともほぼ会う機会がないと思われるにもかかわらず,彼らのことは学生時代に部室で見かけていた人々と同じ程度に身近に感じているし,そこで呟いたり発言をエントリーしたりしているではないか。

 「世界が違うのね」で逃げてきたけれど,この違いをちょっと考えてみた。
 Twitterなら呟けるのに昔の仲間の非公開web掲示板みたいな特定のコミュニティでは書き込めないのは,多分,そういう場での書き込みは「独り言」ではなく,本当に特定の読者に対する「情報発信」になるからなのだろう。例えどんな個人的なことであっても,自分の個人的な出来事をここのみんなに知らせたいという気持ちがあってこそ成り立つ発言なのだろう。だから普段そういうコミュニティばかり使っている友人たちは,何かのウェブサービスで呟く=情報発信と思っていて,Twitterは不特定多数を相手に情報発信をするサービス,そんな多くの人に話しかけることはないと思うのかもしれない。

 そして私はといえば,特定の既知の人々に対しても不特定多数の人々に対しても発信すべき情報を持っているわけではない。ただ放出したい独り言があるだけだ。故に雑踏の中で独り言を呟くようにTwitterでの独り言なら気楽に吐き出すことができる。それが私のニーズに合っているのだ。それなら,Twitterという雑踏でたまたま擦れ違った誰かがいいねをしてくれたり,何か一言レスポンスしてくれたとしても気を遣うことはない。すれ違いざまに手を振るようなアクションでお互い通り過ぎる。気が向いたら立ち話することもある。とても気楽だ。
 だが,昔のサークルの仲間みたいな既知の人々のコミュニティでの発言だったら,コメントがついてたら返事しないといけないのではとか,常に見ている前提で話しかけられているかもしれないからチェックしなければとか身構えてしまって,私は義務感で気が重くなり書くことも見ることもできなってしまう。また,特定の皆さんを相手に話しかけている以上,誰からもレスポンスがなかったら,何か悪いことを言ったのか場違いな発言をしているのではと不安になるだろう。レスポンスをされれば返事が大変,されなければ不安になる,悪いことだらけだ??

 要するに,私には仲間内で盛り上がるような空間で楽しむことは向いていなくて難しそうだということがよくわかった。年賀状から撤退するのだし少しは努力すべきなのだろうか。努力すべきとか考えている時点で過去は遠く今私がいる場所ではないということなのかもしれない。30年も経てば人はとても変わるのだ。
 
 ところで,Twitterって公式によるとSNSではなく通信網なのね。