六月の雪

緋色は雪の涙なり

Learn as if you will live forever, Live as if you will die tomorrow.
 
 
  

一九八四年

 新庄哲夫訳『1984年』を2010年に読んでいるが、電子書籍のセールになっていたため、新訳で再読。読みやすくなっていたと思う。役者の後書きにあるように、長い間著者の意図と異なって空欄だった数式には答が入れられている。
 
 どれほどのディストピアで主人公が最後にどうなるかを知った上で改めて読んでみると、ごく少数の人間が安定して大多数を支配し続ける理論として興味深かった。なるほど「戦争は平和、自由は隷従、無知は力」なわけである。初読の際はテレスクリーンによる監視が印象的すぎたが、思考を言葉から制御していくニュースピークや、矛盾から無縁になれる二重思考、反逆者の存在を許さず人間を作り替える拷問など、細部まで決定的に異なる思考法が支配する世界であることに興味を惹かれた。

ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。

 
 前回はさらっと読み流してしまったが、最後のニュースピークの解説はなかなか面白い。このように言葉が人間の思考を規定し制限してゆくという事実を、今我々が生きるこの社会も普段から軽視しすぎてはいまいか?
 

名称を省略形にすると、元の名称にまとわりついていた連想の大部分を削ぎ落とすことによって、その意味を限定し、また巧妙に変えることになる

コミンテルン」はほとんど何も考えずに口にできる語であり、一方、「共産主義者インターナショナル」は、口に出す前に少なくとも一瞬、何がしか考えざるを得ない語句である。

 などということも? 
 
 再度読んでもオブライエンは謎の人物で、彼がウィンストンを罠にかけるようなまどろっこしい近づき方をした理由がわからないし、ウィンストンが最後まで彼を友人と思い続けている理由もわからなかった。党は思考犯罪者を全員変革するほど暇なのか、それともウィンストンは特別だったのか。
 電子書籍版ではない紙本の方にはトマス・ピンチョンによる立派な解説が載っているようなので、ちょっとそれに目を通してみたくなった。

 訳者の後書きによると、「英国での「読んだふり本」第一位がオーウェルの『一九八四年』だ」ということなので、この本は何度読んでも損はないだろう。もう一度くらいは読んで理解を深めたい。今度はまた旧訳で?
 

 
 
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