六月の雪

緋色は雪の涙なり

Learn as if you will live forever, Live as if you will die tomorrow.
 
 
  

ロシア語みたいな緑の街

音楽遊覧飛行(NHK-FM)を聞いていたら懐かしい曲がかかっていた。ユーミンの《緑の街に舞い降りて》。そういえば五月の歌だった。盛岡-MORIOKA-のどこがロシア語みたいなのか,ロシア語の知識がない私にはさっぱり分からないのだが,さっぱり分からないところが印象的で,私は盛岡と聞く度にロシア語?と思う人になってしまった。
盛岡というと,いつも思い出す女の子がいる。思い詰めた表情だけを覚えている名前も知らない子。美人だった。もう25年くらい前のことだから,彼女も40代の女性になっていることだろう。7月の夜,私は一人で大垣夜行に乗って東へ向かっていて,向かいの席に座っていたのが彼女だった。涙ぐんだ大きな目を見開いてずっと窓の外を眺めている彼女からは思い詰めたオーラが発散されていて,私は気になって仕方がなかった。まったくお節介なことだ。同じボックスに居合わせた人と何となく喋りながら過ごす雰囲気のある大垣夜行だったから,名古屋を過ぎたあたりで彼女に話しかけてみた。ふと和らいだ表情がとても可愛いかった。彼女は春に高校を卒業したばかり,神戸から鈍行列車を乗り継いで盛岡にいる彼氏に会いにいくところだという。盛岡!あのロシア語の街!と,そのときも思った。大垣から東京だって普通列車ではお尻の感覚がなくなるほどの遠さだというのに,更にそんな北まで行くなんて18歳の情熱がなければできないな。当時まだ十分若くて大垣夜行に乗りまくっていた私だったけれど,そう思った。
大垣夜行では随分いろいろな人と話したが,たまたま会話の内容から友人の友人であることが判明し伝言を頼まれた一人を除いて名前や連絡先などを交換したことはない。彼女とも,私が列車を降りるときに軽く挨拶をしただけ。だけど,ロシア語みたいな地名を聞く度に思い出す。長い長い移動のすえ盛岡に着いた彼女には,幸せが待っていたのだろうかと。