ここの写真をまとめていたら,ものすごく悲しく暗い気分になりました。霊感とか皆無だしそういうのを信じてもいないのですが,何か写真の中にまで入り込んできた歴史のオーラに当てられたみたいで。
有明海に望む丘の上にある城跡はいくつかの史跡が残るほか,ただ夏草が生い茂る広い台地状の土地で,400年近くも昔のことになる島原の乱の面影がそのまま残っている感じです。
入り口付近にあるホネカミ地蔵。敵味方関係なく骨が集められて祀られました。
島原の乱により領民のほぼ全員が殺されてしまったため土地には人がいなくなり,現在の住民はその後に移住してきた人たちなので,言葉も少し違うそうです。
神童の誉れ高くわずか15歳で乱の象徴となった天草四郎時貞の像。
西有馬町の民家の石垣の中から発見された天草四郎の墓碑。
有明海に面した原城からは,島原の乱の作戦会議が練られたことで知られる談合島(湯島)がよく見えます。十字架を掲げて湯島をのぞむ石像たち。胸が締め付けられるような風景でした。