何年も前から読もう読もうと思いつつ、何しろ私は読書の足が遅いので、一度読み始めたら当分ほかのものを読めなくなってしまうとなかなか手を出すことができなかった。しかし、何と達成感のある読書であったことか? 著者の田中芳樹氏の著作は今までに『七都市物語』を読んだことがあるだけだったが、七都市物語は登場人物が一人も好きになれないのにどの人も魅力的で読み進まずにはいられない物語だった。さらに壮大に舞台を広げた歴史の物語、そして政治と戦略と戦術の物語。地味に地味にひたすら地味に進んでいく物語なのにこの世界に引き込まれ戻れなくなる。そんな10冊だったと思う。
最終巻の後書きで北上次郎氏が、「独裁国家では公正な社会が実現できているのに、民主国家では賄賂が横行し、そのために不平等な社会になっている」皮肉について書いているが、私も物語のごく初期の段階から「正しく現代の衆愚政治の具現化ここにきわまれり」という想いで同盟トップを見ていた。
以下、各巻のメモ。
- 作者: 田中芳樹,星野之宣
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夢は共有してこそ価値のあるものだった。(P.61)
イゼルローン要塞 vs ガイエスブルク要塞。ミッターマイヤーとロイエンタールの過去も語られる。キルヒアイスは存在感を保持し続け、ユリアンは初陣以降徐々に頭角を現し、歴戦の勇士メルカッツはどうやら新たな居場所を得る。フェザーンがひたすら胡散臭い&きな臭い。未来に立って振り返る手法が随所に見られ、淡々と出来事が語られ、『銀河英雄伝説』がSFというより歴史小説であることを感じさせられる。死亡フラグが立った人物は間違いなく去ってゆき、ヤンの死が近いのではないかと思い始めた。
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ひとつの事実は、それに1000倍する可能性の屍のうえに生き残っている。(P.276)
ユリアンは軍命によりヤンのもとを去り、ラインハルトは着々と同盟征服の道を整える。それを正確に予想しながら何もできないヤン。同盟トップの無能さが際立つ。特に帝国の陽動作戦開始以降は息もできない緊張感だった。帝国と同盟の死闘開始。
堺三保氏による後書き『SFと歴史のリアリティ』は,まさに『銀河英雄伝説』の本質と魅力を語り尽くしていた気がした。
『銀河英雄伝説』は、遠未来の宇宙を舞台にしたSF小説であり、軍事史の知識に裏打ちされたリアルな戦争小説であり、奥行きの深い世界観を有する歴史小説であるだけでなく、それらの要素が相互作用を起こすことで、さらに高度なSF性を擁することになった、希有な作品なのである。
- 作者: 田中芳樹,星野之宣
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ひとつのものに対する愛情が、ほかのものへの愛情も尊敬も失わせてしまう。善悪の問題じゃない。どうしようもなく、そうなってしまうんだ。(P.239)
ラインハルトはいよいよ自ら指揮をとって同盟への進行を開始。ロイエンタールにミッターマイヤー、ミュラーなどの帝国の提督たちは相変わらず個性を発揮し活き活きと描かれる。どう見ても同盟の方が圧倒的に不利な中、ヤンはイゼルローンを脱出し、ミラクル・ヤンの名にふさわしい武勲を立て続ける。バーミリオン星域会戦を経てラインハルトはついに戴冠。
キルヒアイスを失ったラインハルトの哀しさは彼を魅力的にしたように思えた。いや、物語を読み進むにつれ彼の魅力が徐々にわかってきただけなのかもしれない。どんな喜びの場面であろうとも、もっとも望む人物がそばにいなければ、それは色を失うだろう。それをまだ若い彼はずっとずっと背負っていくのだと思うと読んでいて辛い。
イゼルローンの罠は?メルカッツは?地球は? 物語は前半を終え、闘いに疲れた登場人物たちが「そうして死ぬまで幸せに暮らしました」という記述を与えられるのならホッとするところだが、今後待ち受けるであろう事件への伏線が幾つも思い浮かぶ。
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田原正利氏による後書きではアニメ『銀河英雄伝説』に製作話が書かれていて非常に興味深かった。
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ヤンの逃亡とレンネンカンプの死、レベロの愚策をラインハルトは正しく見抜き、彼らしき公正な方法で処する。もはや力の差は明らかで勝つ見込みも無いのだがビュコック元帥は民主主義の旗の下に最後の闘いに挑む。ヤンに対する同盟の人々の依存心は見ていて心配になるほどなのだが、魔術師のような才能を見せて自分たちを救い続けてきた司令官がいれば、そうなってしまうのだろうか。ビュコックもヤンも例えそれがどれほど神がかり的な才能の持ち主であろうとも皇帝と名乗る一人の人物に全権をゆだねる制度を良しとしない。それが命を落としてまで貫かなければならない信念なのか、私にはちょっと理解できない。ヤンは「信念」が嫌いだったのではないか?
つまるところ、みごとな死というものはみごとな生の帰結であって、いずれかいっぽうだけが孤立することはないように見える。(P.223)
私は民主主義という制度が未来迎合礼賛されるほど素晴らしいとは思っていないのでそのあたりは陳腐にも思えてしまうのだが、そこはそういう設定として読まねばならないと思いつつも、やっぱり少し納得できなかった。物語は次巻で大きく大きく動くだろう。
久美沙織氏による後書きは面白かった。女の立場と戦争。彼女は「戦争はイヤよね〜」と言わなかったばかりに親しい女友達に絶交されかけたことがあるそうだ。なるほどやっぱり典型的な女性の立場は「戦争イヤよね〜」なのだろうか。私は戦争を好んだり積極的に肯定したりしないが、悲惨さばかりに注目してイヤの一言でその先の思考を閉ざしてしまうことにも感心しない。だから「戦争はイヤよね〜」と単純に言うことはできないし、そうすると人格を疑われて面倒なことになりそうだから人と戦争の話などしないよう心がけており、殊更に女性相手の場合は慎重に黙るか逃げるかして避けてきた。女性の方が、より話が通じない気がしていたから。彼女の後書きを読んで納得できた。クラウゼヴィッツの『戦争論』は一度読んでみたいと思いつつ、なかなか敷居が高くて紐解けずにいる。
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真実を言うとね、わたしは民主主義なんか滅びてもいいの。全宇宙が原子に還元したってかまわない。あの人が、わたしの傍で半分眠りながら本を読んでいてくれたら……
そうでしょうとも!!
ラインハルトは万歳の声と共にハイネセンを出発しイゼルローンへ向かう。ラインハルトの頭にはヤンのことしかなく、この戦闘をヒルデもミッターマイヤーもロイエンタールも支持してはいなかったが、皇帝に従い各々最善を尽くす。イゼルローン回廊にて常勝と不敗の最後の闘い。初巻から名前を連ねた武将たちが次々と墓誌に記されてゆく。今まで通りその様子が淡々と記録されてゆく。それがゆえに誰の死をも淡々と受け入れることができた気がする。ただ、それでもフレデリカのこの言葉だけは心を貫かれずに読むことはできなかった。次はロイエンタールの物語になるのだろう。
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卿らの好意を謝し、今後の関係正常化を期待させていただく。また、卿らの偉大な指導者であったヤン・ウェンリー元帥の聖なる墓所にたいし、全軍つつしんで敬礼をほどこすものとする。
芸術家提督メックリンガーの言葉より。
ロイエンタールが物語の終盤で謀反に破れ退場するであろうことは、かなり以前から推測されていたことだった。そして予想通りとなったわけだが、もしかしたら、それを見るのは今まで去った誰よりも辛かったかもしれない。彼がどうして謀反者にならねばならなかったのか、彼ほど誇り高くない私には最後まできちんと理解することはできなかった。キルヒアイスに仕えキルヒアイスを失い、その後ロイエンタールに仕えたベルゲングリューン大将の最期の言葉は痛烈だが真実だとも思った。ラインハルトの芸術の秋は微笑ましかった。
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平和とは無能が悪徳とされない幸福な時代だ
これは常々この日常生活の中で私自身が感じていることでもある。もちろん、無能とはほど遠い人たちが最終巻らしく散っていった。生き残って新しい時代を迎えるだろうと最初から分かっていた人々だけが生き残った。これから6月1日が来る度に銀英伝のことを思い出さずにはいられないだろう。
”政治なんておれたちには関係ないよ”という一言は、それを発した者にたいする権利剥奪の宣告である。政治は、それを蔑視した者にたいして、かならず復習するのだ。
信じられないほどの量の血が一瞬一瞬で流されてゆく物語だった。良い悪いではなく、ただそれがこの物語の舞台での出来事だった。現実の世界でも何ら変わりは無いと思う。結果論で是非を決めつけるのは非礼だと思うし、よく聞く「政治には期待しない」という言葉には、私は限り無い無責任さを感じる。与えられた環境で自分にできる道を選択していく。個々人の責任だ。異なった旗の下に生まれ異なった個性を持つ人々が自分自身の選択を繰り返してゆく。それが銀河英雄伝説だった。
おたがいに老人になったら再会しよう。そして、おれたちをおいてきぼりにして死んじまった奴らの悪口を言いあおうぜ。
ぜひぜひそうして欲しい。