決めつけと思い込みから自由でありたい。
半世紀生きようと,一世紀生きようと,一瞬たりとも自分以外の生を体験することはない。
交わる人々も,所詮自分の行動範囲。
そんな狭く偏った人生経験を判断材料に,「そうである筈がない」とか「○○とはそういうものだ」などと言い放つのは,物事と見識の可能性を摘みとるだけの愚かな行為だ。
理解されたい要求から自由でありたい。
如何ほどに命を削って言葉を紡げど,人は他人を理解することなどできはしない。自分を語る言葉は少なく,小さく。されど他人が語る言葉には黙して耳を傾ける。何か思うことがあったとて,余計な意見など挟まず的確な相づちを返すにとどめたい。
意見を口にするのは,それを求められたときだけでよい。
生きている。人は空気になれない,風になれない。
でも,空気のように風のように,ただ透明になって時を渡りたい。
自己を主張することを忘れ,空を見上げ陽光を愛し雲を愛おしみ,ただ愛する人たちのそばで日の常を織っていたい。
ここに何か書ければそれでよいではないか?
大切なのは自分ではない。傍らにいる人の幸せだ。